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け 京阪百貨店

サンダル履いて京阪百貨店へさる

15 京阪百貨店というのは、おそらく私が思っていた以上にメジャーな存在でした。私は幼い頃、京阪の伏見桃山の近くに住んでおり、従って守口に転居するまでは、京阪百貨店といっても伏見桃山駅にある小さなデパートと似たようなものと思っていました。しかし、その規模もさることながら土日ともなると駐車待ちの車の列。実際私の友人も遠方から何回も『よそ行きの服』を着てやって来ていたのを知っています。
 私は今でこそ守口市民ではありませんが、結婚後、まる6年間、守口に住んでいました。しかも京阪百貨店まで百メートルあまりの至近距離でした。
 京阪百貨店や桜町商店街には本当にお世話になりました。私はどちらへ行くのも当然同じ感覚なのです。「百貨店に来ているんだ」という『意気込み』は全くありませんでした。京阪百貨店の地下に行き、その帰りにジャガイモは桜町商店街の『玉出』で買う、という具合でした。(時には西友にも寄る)
 近所の人達とも百貨店の中でよく顔を合わし、挨拶を交わしたものでした。私は当時地酒に凝っており、地下には結構品が揃っております。また、日本酒と言えば刺身ですが、兵庫県境港からの新鮮な魚が豊富です。定休日前の水曜の閉店間近になると、物によっては半額近くなります。しかしある年の大晦日の閉店近く、明日から正月休みで必ず刺身が安くなると確信して、魚屋の前で一時間近くも待っていました。人は数十人にふくれあがりましたが、安売りはありませんでした。恋人にデートをすっぽかされたような気持ち。それでも京阪百貨店を嫌いになれなかったです。
 できた当時のことを私の嫁さん(守口生まれの庶民派)に聞くと、既存の有名な百貨店ではないし、人に対する贈り物も初めは敬遠する気持ちがあった、要するに「なんで守口に新設の百貨店やねん」という気持ちであったとのことでした。(今では熱烈なファンです)
 それから10年、今や『こころもすがたもきれいな百貨店』のキャッチフレーズのもと守口市民にすっかりなじんだどころか、守口市駅前にはなくてなならない存在となっています。それにしてもお好み焼き屋の『ぼん繁』がなくなったのは残念やなあ……。

(佐藤裕己)

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け 剣晃

ご当地力士さる

 ここでいきなりクイズです。
 17歳の11月に九州場所で初土俵を踏み、翌年の初場所には序ノ口の優勝決定戦に出場するも惜しくも敗れましたが、190センチを越える持ち前の体格とひたむきな努力で順調に出世し、平成4年の名古屋場所で新入幕。現在までの最高位は小結。常に前に出る相撲で人気の高田川部屋の関取と言えば誰でしょう?
 相撲好きの方ならすぐにおわかりいただけると思います、そうです。剣晃関です。
 剣晃関がなぜこの本に紹介されるかと言いますと、庭窪中学校から守口高等学校に進学した生粋の守口人なのです。
 本名は星村敏史、学生時代は級友から「ほっしん」と呼ばれておりました。そんな彼のエピソードを綴りたいと思います。
 私の親しい友人の話によりますと、「ほっしん」の性格を一言で言うと『やんちゃ』だったそうで、おとなしい女子生徒などは怖くて近くに寄って話をしたりできなかったらしく、男子生徒からもその存在は一目を置かれていたそうです。
 中学生の年頃にもなるとやんちゃをした苦い思い出や、若気の至りなど誰もが経験したであろう、そんな昔話の中で有名なものを一つ紹介します。ある朝「ほっしん」は頭を金髪に染めてモヒカン刈りで学校に登校したことがあったそうです、もちろんそのような特異な頭髪が義務教育期間において寛容に許可されるはずありません、当然のごとく先生から指導を受け、諭されて翌日には頭を丸坊主にして元気に登校したそうです。
 そんな「ほっしん」も、小学校の頃から天才肌だった相撲に目覚め、角界に入門しました。が、あまりに環境の違う上にしきたりの厳格な別世界に足を踏み入れた為、その辛さから一度所属部屋を飛び出して実家に戻ってしまいました。しかし、恵まれた体格とずば抜けた相撲センスを終わらせてしまうのはもったいないということから、気持ちを奮い立たせて意気盛んに元の相撲部屋に戻って参りました。そして今の地位があるわけです。
 『一年を十日で過ごす良い男』かつて相撲取りはこんなふうに呼ばれました。精進の末、幕内まで昇進した剣晃関。年6場所90日間の活躍を守口市民は応援しております。  頑張れ「ほっしん!!」

(辻本卓郎)

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こ 光明寺

十一面観音立像さる

 「オギャー」といってこの世に生を受けた私は何のご縁か光明寺という寺の住職の息子として生まれました。小さい頃は『お寺の子』と言われるのがあまり好きではありませんでした。だってなんか年寄りくさい感じでしょ、イメージが。
 中学一年生の時、先生に「地歴クラブの活動で十一面観音立像を見せてほしいんやけど」と言われ、「はい、いつでもいいですよ」と気軽にOKした私は家に帰って父に頼むと、「本尊の十一面観音立像は年に一回しか御開張をせえへんねんぞ」と言ったので私は「何でそんなに出し惜しみすんねん。けちくさいなあ」と言うと、この十一面観音立像は国の重要文化財に指定されていて戦前は国宝だったと聞かされ、大変立派な仏像であることを教えられました。それと同時に光明寺も西暦806年に弘法大師空海が建立したと伝えられている由緒あるお寺ということも聞き、たいそうな家に生まれたもんやなあと思いつつ、この家に生まれたことをちょっとだけ誇りに思いました。
 現在は元気にお経を詠んでいます。

(西端良弘)

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こ 国際交流センター

教えたろか守口さる

16 海外旅行が盛んです。円高も手伝ってか、今年もビジネスや観光で何100万人もの人が海外へ行って来たそうですが、ここで困るのが皆さんも経験がおありのように『言葉』の問題ですね。近頃では日本語の通じるホテルやお店も増え、パック旅行では添乗員さんが大抵のことはして下さるのでペラペラでなくても大丈夫ですが、それでも出発前には『トラベル英会話マスター』みたいな本を買って「トイレはどこですか」とか「これいくらですか」とか「もっと安くして」ぐらいは勉強したことでしょう。
 守口市にも3,000人以上の外国人が住んでいらっしゃるそうですが、何かのご縁で外国の方に自己紹介をする時、あなたなら何と言いますか。「私の名前は○○です」「○○歳です」「日本から来ました」ぐらいしか言えないようではちょっとさみしいですね。 そこで私達の住むまち守口を紹介してあげてはどうでしょうか。そんなんむずかしくてようゆわれへんって?大丈夫私がどう言えばいいかお教えしましょう。

まず相手がビジネスマンの場合

次に相手がホームステイ先のホストファミリーの場合

最後に相手がバーで知り合った若者の場合

 どうです。これを暗記すれば会話が弾むこと間違いなしです。えっ?その後どんな話をしたらええかって?それはご自分で勉強して下さい。ここから国際交流は始まるのです。

(高見順子)

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こ 国際花と緑の博覧会

下町の国際交流さる

17 平成3年に守口のすぐ隣、鶴見緑地で国際花と緑の博覧会が開催された。そんな時期の話である。
 私の知人のA氏は寺方にある会社に勤めていたのだが、ある日彼は15年前の木製ステレオセットを捨てるため、大型ゴミの日に出そうと会社の前に置いていた。するとしばらくしてから風変わりな若い青年が尋ねて来て、カタコトの日本語で表のステレオを売ってくれと頼みに来た。でもA氏は「どうせ捨てるつもりだったからあげるよ」とその青年に言ってやったのだ。それからA氏と彼らの交流が始まった。
 その青年の名前はジュリー君といって、当時花博のスリランカ館スタッフとして来日し、A氏の会社の近くの宿舎に住んでいたのだった。
 ジュリー君は次の日からスリランカから来た他の仲間を連れてA氏の会社に遊びに来るようになった。とは言っても言葉もなかなか通じにくいし、ただみんなが働いているのを大勢で眺めていたとか。それでも不思議なもので、毎日顔を合わすうちにお互い意志が通じるようになってくるものなのだ。
 ある日ジュリー君は虫歯で歯医者に行った。ところが言葉が通じないとかで、A氏に通訳を頼んできたのだった。後でその話を聞いた私はA氏に「英語が話せるようになったんですか」と尋ねると、「歯医者さんはジュリーのカタコト日本語がわからんのや」との事。なるほど、そういう事か。
 またある日、ジュリー君が日頃のお礼にスリランカ料理をごちそうするといって、A氏を宿舎に招待してくれた。A氏は辛いものを予想していたのだが、食べてみると意外や意外、甘すぎて逆に食べられない程だったらしい。ジュリー君いわく「日本人は辛いものが苦手だから砂糖をたっぷり入れたよ」って。  色んなことがあった花博もまたたく間に過ぎて、ジュリー君は15年前のステレオと共にスリランカへ帰っていった。二人は今でも手紙のやりとりをしているらしい。
 この時期はこんな交流がよくあったんだろうな。そういえばスリランカ人と女子高生のカップルっていうのも見かけたことがあったな。

(中島 淳)

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go ゴミ

ゴミに未来はあるか!!さる

18 一般の市民生活をする上でゴミは発生する必要悪です。ゴミを出さずに生活するなど並大抵のことではないのです。が、今世界では技術の粋を結集した『ZERI』と呼ばれる国連大学が提唱するプロジェクトがあります。『ZERI』とはゼロ・エミッション研究プロジェクトの略で1994年6月に紹介され、来るべき21世紀に向けての産業の推進力となるものです。
 どのような運動か簡単に説明しますと、企業の出す廃棄物や排出物を全くゼロにするという運動で、たとえばビール醸造において排出される大量の固形廃棄物があります。これには豊富な蛋白質が多く含まれているのですが、埋め立てや家畜の飼料に使用されることが多いのが現状です。その廃棄物を水産養殖に利用すれば魚は餌として摂取するため廃棄物処理の問題は解決します。また回収されたビール瓶の洗浄については砂糖をベースにした天然素材の洗浄剤を使えば排水を直接養殖場に供給することができます。さらに養殖場の魚が出すフンも汚染原因になりうるのですが、すでに廃棄物を吸収する藻類が発見されており、太陽の光と酵素をもって更に魚の飼料にできる。ビール業や養殖業のように異業種が綿密なタッグを組んでインプットされた全てのものを活用して完全消化するというものが『ZERI』の目的です。夢物語をしているようですが現実にこのプロジェクトはフィリピンなどインフラが構築されていない国で研究が推し進められており、近い将来には実現する可能性を秘めています。
 我々の住む守口市でも平成3年度よりゴミの減量・再資源化を推進、平成5年度から市内の全域でゴミの分別収集をしてゴミ搬入量を大幅に減量しました。『ZERI』のような巨大プロジェクトを地方行政で行うことは不可能ですが、ゴミの分別収集は廃 棄物の再利用・再資源化を図る上でも最重要な課題であります。市民レベルでも自主的な活動が行われており、一例を挙げるとスーパーなどの食品売場で目にする白色トレーを回収して再資源として利用するなど行政が支援してリサイクルを推進しています。
 ゴミを辞書で引くと『塵』『芥』とあります。我々の住むまちを塵芥でまみれたものにしたくありません。美しさを護る『護美』の精神を持って今後のゴミ問題に取り組まなければならないでしょう。

(辻本卓郎)

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