門真市/門真試験場/カナディアンスクエア/関西医科大学付属病院
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門真市
守口市と門真市を比較するのは、大変難しいと私は思う。 何故なら私は大阪市旭区で生まれ、現在門真市に住んでいるので、京阪沿線の景観を見慣れたせいかも知れないが、守口市と門真市は非常に似通った同じような町だと思っているからである。
この二つの町は面積、人口とも同じ水準であるし、いずれも松下電器産業、三洋電機を中心にその下請けの関連企業などが多く、また、昭和30年代にはそれらの企業に働く人のための住宅が無秩序に建築されたため、一歩大通りを外れると迷路のような街路になってしまっているところもよく似ている。
お互いに全国的に有名な史跡名勝もなければ、特産物もない。端から見れば境界線も入り組んでどっちがどっちか判らない。地図を見てくの字型が守口市、丸いのが門真だとわかる程度である。
しかし、年の近い兄弟がよくケンカするのと同様、似た者同士、しかも隣同士、何かにつけて張り合いたくなるものである。
かつて門真市駅前(当時は新門真駅)に大きなスーパーができた頃は守口市駅前には大きな商業施設がなかったので、門真市民は守口市民に対して優越感を感じた。さらに古川橋駅前の再開発でその優越感はさらに強まった。しかし、守口市民の逆襲も始まる。守口市駅前にも再開発の手が入り、京阪百貨店、守口プリンスホテルが登場するや門真市民の優越感も風前の灯かと思えた。
しかし、門真市民は最後の切り札、オールマイティを持っていたのだ。なんと門真からは首相が出ていたのである。その人、幣原喜重郎は外務大臣を歴任し、また特命全権大使として大正・昭和の激動の時代を生きた人物で、その政策は『幣原外交』と呼ばれ、今もその名は語り継がれているのである。また兄の幣原坦博士も東京帝大国史科を卒業後、東京帝大教授、台北帝大学長を歴任、終戦後、枢密顧問官として活躍する。守口ではあまり知られていないが門真では幣原兄弟として広く知られている。当然、門真市民には門真の誇りとなっている。(有名と思っているのは私だけかも……)
今後、守口から歴史的人物が出ない限り、門真市民は幣原兄弟を郷土の誇りとし、守口市民に優越感を持ち続けることでしょう。
門真、万歳!!
(末松広之)
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門真試験場
「ふるかわばし〜ふるかわばし〜自動車試験場前〜」。お馴染みのこの京阪電車のアナウンス、門真市の北東で少年期を過ごし、またかなりの車好きな子供であった私には「大きいなったらその門真の教習所ゆうとこ行って免許取るねん!!」という青い大志をその度に確認させるそれはそれは甘美ないざないでした。
高校二年で旭区に引っ越したため関目の教習所に行くことになり門真の教習所で免許を取ることはかないませんでしたが、どこで取っても同じこと。若い男にはとっても冷たい教官様の仕打ちにもめげず晴れて教習所を卒業、念願の門真の試験場に行く日がやって来ました。
門真の駅からバスに揺られて数十分、足を踏み入れたその場所は何やら妙に威圧感を与え不安な気持ちにさせる所でした。古さのせいだけではありません。内部も含めて建物の持つ色合いがそんな気にさせるようです。今日はたくさんの人間にとってそれは嬉しい晴れの日なのに似つかわしくない、と長年の恋愛感情が裏切られたようなそんな少々せつない思いになりましたが、要は試験に無事合格して免許証をもらって帰れれば良いのであって、何もバニーちゃんのお出迎えプラス帰りは赤いじゅうたん踏みしめ紙吹雪のお見送りなんかなくても全然構わないんです。それに二度と来ることも無いんだし。そう、二度と……。めでたく免許証を手にした私は今までの恋い焦がれていた思いなどきれいさっぱり忘れ、どちらかと言えば一秒でも早くそこから立ち去りたいと振り返りもせずに試験場を後にしました。その時は「また戻っておいで〜」と言われていたのも知らずに。
はいはい、戻って来ましたよ試験場に。あそこは教習と免許証交付以外にも用事があるところなんですね。当時はそんなこと考えもせんかったですが。ありがたくも49キロオーバーをオービス(自動速度取締装置)にフォーカスされて一発免停です。違反場所が西名阪の大阪行きで奈良県だったもんですから最初に郡山の高速警察隊、お次ぎは奈良の簡易裁判所と呼び出され7万円のお布施の後、我が心の故郷門真に戻って参りました。免停経験者はご存じでしょうが、処分が決まると「30日免停の方、○○さん、××さん」と、こんなに丁寧だったかどうかは忘れましたが順番に呼び出されます。違反が派手すぎて覚悟が決まっている人間以外は結構心臓をバクバクさせながら待つすごくいやな瞬間です。30日免停の時に呼ばれんかったらもうガックリ。60日以上決定です。脈拍は少なくなり、血圧は下がり、その時に健康診断をすれば即強制入院のような状態になります。(ほぼ一年後おバカな私はかわいい違反を二、三重ね、再度お招き頂いてこの60日決定の瞬間を味わいました)また何かにつけ長時間待たされるのには参りました。「君達は悪いことをしてここに来てるんでしょ。おとなしく待ってなさい」てなもんです。そんな虐げられている人間達には、昔あんなに晴れの日に似つかわしくないと思ったこの建物の雰囲気が異常にマッチするんですよこれが。絶対わざとそうしてるに違いありません。あまり自分のした違反に罪の意識の無かった私は(人や物は傷つけて無かったので)被害者意識が膨らむばかりでした。一回目にももちろんこんな精神的虐待はもういやだと思いましたが、不本意ながらももう一度同じ気分を味わうとは何とも情けない。
ところで私は30日と60日の時の両方とも停止期間減免のための講習を受けましたが、明らかに客層が違うのには笑ってしまいました。一言で言えば60日の方がより鉄火場の雰囲気があふれていました。(自分もそのうちの一人でしたが)そんなあほらしさ一杯の空気の中でも、休憩時間になれば「お宅は何しはったん?」なんぞ言いながら数箇所で話に花が咲き、妙な連帯感でもってそのまま『連れ』になって一緒に昼飯に行った連中も結構いました。私は一人で希望にあふれた教習生に囲まれながら犬並の速さで食事を終えて近くのパチンコ屋で時間をつぶしましたが。
(なぜかこんな時は勝てるもんです。罰金の足しになりました)
明日のドライバー予備軍の方々、晴れて免許証を手にして試験場を後にされる際には目前に広がる楽しいことの数々や目元も緩むエッチな期待ばっかりで頭を一杯にせずに「また戻っておいで〜」という手招きにしっかりと「NO!!」の返事をして帰りましょう。でないと彼(彼女?)はきっとあなたを呼び戻すはず。
(清水英男)
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カナディアンスクエア
現在、守口市の駅前にはたくさんのモニュメントがあります。
皆さんもそのいくつかは、ご存じのことでしょう。クリスタル橋の上にある『パッセージ』、市民体育館横の『街角彫刻』、三和銀行前の『市民憲章モニュメント』、アポロン橋の上にある『カリヨンの鐘』、カナディアンスクエアの『光の木』等々。
それぞれのモニュメントにはそれぞれの顔がありますが、その中の一つ、京阪百貨店横(京都寄り)のモニュメント『愛の鈴』の創作経緯を少し追ってみました。
守口青年会議所(守口JC)では当時(1985年)二一世紀へのメッセージを市民から募りそれを『ロマンの壷』としてタイムカプセル化し、地面に埋めようという話が盛り上がっていました。
一方、守口市は駅前再開発の一環としてモニュメントをいくつか作ろうと計画していました。市の再開発部長だった藤重氏によると「人と人とが会う」という視点でモニュメント設置を考えており、守口JC提案の壷(タイムカプセル)とともに同じく守口JCが行っている『愛の鈴』運動に因んだ彫刻を設置することになった、という話でした。
モニュメントを創った打浪隆夫氏には、抽象的で前衛的な作品が多いが今回の作品も含めて「時が経っても古く感じさせず、視点を将来に向けた作品作りを心掛けている」と言っておられました。
子供を象徴する小さな鈴を大人や社会を形どった丸パイプが守るというモニュメントになっており、その横にメッセージの詰まった『ロマンの壷』が埋まっています。この壷は、2001年1月10日に取り出すことになっています。
ただ単に「駅があり、橋があり、車が通り、人が動く」だけでなく、このような『憩いのための空間』があると、わざわざ散歩に出掛けたくなるものです。石の真ん中に穴があいている『パッセージ』をくぐり抜けて遊んでいる子供たち、『カリヨンの鐘』の人形が音楽に合わせて踊る様を楽しげに見ている家族連れ。
モニュメントは、まちづくりに欠かせない存在ではないでしょうか。
(末松広之)
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関西医科大学付属病院
守口市内の大きな病院といえば、関西医大(関西医科大学付属病院)と松下記念病院を思い出す方が多いのではないでしょうか。
関西医大はもともといわゆる大阪女子医専の付属病院(京阪の牧野駅近く)が前身で昭和三年の設立です。東京の女子医専とともに伝統のある学校で、年配の女医さんはここの卒業生が結構いらっしゃるとのことです。戦後の昭和22年から大阪女子医科大学、同29年からは関西医科大学として共学となりました。従って他の医大と比べて今でも女子学生の比率は高いようです。昭和7年に病院は滝井に移り、牧野の方には一般教養の一部が残っています。現在は滝井の他、香里園・男山・京都の洛西ニュータウンにも付属病院があります。関西医大は関西地区では八つしかない高度先進医療承認医療機関であり、また救命救急センターとして24時間体制をとっています。ボクサーの辰吉の手術にもあるように眼科や心臓病等、高い診療技術を誇っています。
一方、松下記念病院は昭和15年松下電器が従業員の健康のために、日吉町に松下病院として設立されたのがその前身であります。昭和28年から一般市民の治療も始め、昭和61年、今の外島町に松下記念病院として設立しました。私も子供の出産でお世話になっておりますが、廊下等を非常に広くとってのびのびとしており、黄緑で統一された配色が綺麗で清潔な感じがします。診察券をカードにして外来の手続きをスムーズにしたり、週1回入院患者に食事のメニューを選択してもらったりと、医療環境の充実を目指しておられます。
関西地区の病院は一般的に合理精神を医療に生かした先進性を持っていると言われています。(『関西病院ランキング』宝島社、参照)2つの病院のそれぞれ事務部の方に取材をお願いしたのですが、双方とも地域のニーズを把握した質の高い医療を提供したい、という熱意がひしひしと感じられました。
二つの病院の一日の外来患者は合計で3,500名近くにもなります。また、全国686都市中、人口千人当たりの医師数では守口市は第19位(4.40)と大健闘です。残念なことに守口には市民病院がありません。しかしまさしく、この二つの病院がその役目を果たし開業医とともに、市民の健康維持を担っているのではないでしょうか。
(佐藤裕己)
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喜左衛門
我々が住まいとする守口市を含む北河内地域の大昔は底湿地帯で、農民達は毎日が水との戦いの歴史でもありました。樋と呼ばれる堰止めた水の出口となる水門や溝と呼ばれる農業用水路を設置し、農業に対して真摯に取り組んで参りました。
守口市で義農と呼ばれ、人々に敬愛される先人がいます。寺方の庄屋喜左衛門と藤田の庄屋弥治右衛門、この両衛門は、自らを犠牲にして農民のために尽力した末、捕えられて処刑されました。
喜左衛門は水害に悩む農民を救済するため橋波村の樋を独断で撤去し上流の村人の怒りを買って寛永13年捕えられ処刑。一方、弥治右衛門は大久保一帯の大水害を見かねて樋を建設するも、下流の古川の村人に訴えられ慶安二年に捕えられ処刑されました。両名とも官の怒りをかって捕えられたのですが、隣人とのトラブルを起こした首謀者であることが根本的な原因であると考えられます。守口市民は二人の義農を慕い慰霊碑を建設しました。昭和十五年に喜左衛門碑を昭和32年には弥治右衛門碑を、約350年時代が下がった時のことです。
(辻本卓郎)
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木崎正隆
京阪百貨店横のカナディアンスクエアに木崎正隆前市長の銅像が建っています。皆さんご存じですね。この銅像前は自転車が多くて、銅像が見張り番みたいになっています。市民の皆さん駐輪を自粛しましょう。
この木崎正隆前市長は、四條畷中時代から宝塚とテニスが大好きなモダンボーイで若い時から何にでも興味を示され、自宅に帰ればトランプ占いをするし、ゴルフもグリーンに乗ったらOKという楽しいゴルフ、パチンコ大好き、ヘビースモーカー、髪はバサバサ、身だしなみをかまわぬ……というような、若々しく庶民的で飾らない人柄だったそうです。
晩年は7回入退院を繰り返したものの、選挙の時には不死鳥のようによみがえり、全国最多の9選を果されましたが、任期途中で倒れられ松下記念病院で84歳で亡くなられました。
私は昨今中央地方を問わず金儲けが目的の金に汚い、また、有名になりたいがための『政治屋』が目立つと思っていますが、いろいろ話を聞く中では、金にきれいな『政治家』と感じました。
また、長期政権の弊害もあまり聞かれず、名物市長と市民に親しみをもって思い出されるのもその人柄によるものと思います。
私は、10年以上前だと思いますが、新聞の社会面でこの名物市長とひ孫の天才少女バイオリニストの記事を読んだ記憶があります。多分『天才少女』が守口に里帰りをした時だったのだと思います。この『天才少女』は、五嶋みどりという名前ですが、守口市の松下記念病院で生まれ(ここまでは私の長女と一緒です)バイオリニストである母の節さん(名物市長の孫)の手ほどきを4歳から受け、6歳でソリストになりました。
『天才』と言われますが、取材をして聞いてみると『集中力』『信念』は子供とは思われないもので、教育・能力開発の賜物だと思います。その後、アメリカの名門ジュリアード音楽院の名バイオリン教授ディレー女史に師事しましたが、十代からの世界的活躍はあまりにも有名で、現在三億円もするバイオリンを自在に操る世界のビッグネームです。
特に14才の時マサチューセッツ州タングルウッドで開催されたレナード・バーンスタイン指揮ボストン交響楽団の演奏会でのエピソードは伝説的なものとなっています。演奏中にバイオリンのE線(4弦のうち最も細い弦)が2回切れましたが、いずれも臨機応変にコンサートマスターなどのバイオリンと交換して完璧な演奏を続けて、熱狂的な喝采を受けました。この演奏は翌日のニューヨークタイムズの一面で称賛され、名声は不動のものになりました。
さらに驚くべきことに、今年の7月に五嶋みどりさんの実弟の龍君(7歳)がバイオリニストとしてデビュー、『超神童』とマスコミで話題になりました。大人でも至難のパガニーニのバイオリン協奏曲を難なくこなし、聴衆を魅了、才能は姉を超えるとの記事もあり、将来が本当に楽しみです。
また、五嶋みどりさん、龍君の母節さんの父の木崎友晴さんは空手の剛柔流の達人(8段)で唯心館道場主。全国学生空手道連盟の元会長などを歴任された世界的に有名な空手界の重鎮です。
以上は木崎家の分家の方になりますが、本家でも多くの著名人を輩出しています。例えば、医学博士で大阪日赤の内科部長であった木崎国嘉氏(前市長のいとこに当たるとのことです)は、
博学で有名であったことからかつての人気テレビ番組の『11PM』に出演し『イレブンドクター』として全国的に親しまれました。また、ロシア史・日露交渉史が専門の木崎良平立正大学文学部教授には『漂流民とロシア』(中公新書)など多くの著書があります。
昔、菊水通の西三荘用水路には木崎家にちなんだ『木崎橋』がかかっていたそうです。この橋は昭和41年3月竣工の『木崎の橋』となりましたが、その後に西三荘用水路が埋め立てられたために撤去されて、現在は『西三荘ゆとり道』となっています。
また、現在八島町となっているあたりに昔俗称『木崎島(きざきじま)』がありました。明治18年の淀川大水害の後、水害防止のために淀川の付替工事がされましたが、工事によりできた旧淀川低地の土地を明治末期から大正にかけて木崎本家とその親戚の白井家とが協力して開発したということです。
なお、三洋電機株式会社元副社長後藤清一氏の著書『後藤清一が26人の先達から学んだ社長の器』(明日香出版社)という本の中で、守口縫工株式会社の田代通相談役から、その昔木崎家が松下を今の地に誘致されたと聞いたという話が紹介されています。
(岡崎隆彦)
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京阪池
昭和25〜6年頃というから今から50年ほど前まで現在の大枝公園は京阪池という名の池だったそうです。聞くところによると当時は手漕ぎの舟で投網で漁をする人やのんびりと釣り糸を垂らす太公望が大勢いたそうです。
そう言われると公園の隅に溜池みたいなものがありましたし、下水道のポンプ場もありますので、その名残りかなという気もします。
ちなみにこの京阪池はもとからあったのではなくて、京阪電車が昭和の初期、土居から野江までを高架にする際に盛り土に使う土を取った場所で、それがその後、池になったものだそうです。
大枝公園はその京阪池を埋め立てて造ったのですが、今になって思えば、公園の中に大きな池があったらまた少し趣の違う憩いの場になっていたかもしれません。休みの日に釣竿下げて大枝公園へ行くことは今はできませんが、子供を連れて公園でこんな昔話をしてあげるのもいいんじゃないでしょうか。
(末松広之)
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京阪電車
京阪電車の普通に乗って京橋から守口へ向かうと、滝井駅から加速してすぐに減速して土居駅に到着するのに不思議がる子供を見かけた事はありませんか。
京橋〜守口市間は京阪電車の中で一番長い直線区間なのですがその間には滝井駅と土居駅の間のように非常に短い間隔で野江・関目・森小路・千林・滝井・土居と六つの駅があります。土居〜滝井駅間は四百メートルしかないそうです。しかも、駅間が四百メートルと言ってもそれは駅の基準点と基準点との間のことでホームの端から端ではありません。
京阪電車へ問い合わせると、千林駅と守口市駅がまず最初からあり、昭和6年10月14日に滝井駅ができ、翌7年6月14日に土居駅ができたそうです。しかしながら、ほぼ同じ時期になぜそうなったのかはよくわからないそうです。
そんなに駅間が短いにもかかわらず京阪電車は輸送力増強のための列車の増結を繰り返したため、その度毎にホームの延長工事がなされました。特に土居駅は滝井駅の方へ、滝井駅は土居駅の方にホームが延長されたため、ホームの端と端はそのたびにどんどん近くなってきており、今や国道の内環状線を挟んで目と鼻の先です。現在、最長8両連結の列車が10両になればこの2つの駅のホームはくっついてしまうかも知れません。
土居駅をよく利用する私としては、滝井駅が邪魔に感じます。滝井駅を利用して京都方面へ向かう用事の多い友人は逆に土居駅が邪魔に感じているそうです。しかしそれ以外の駅を利用する人はふたつとも邪魔に感じておられるんでしょうね。
でも土居駅は私にはなくてはならない駅なのです。昔、鉄道ストが毎年のようにあった当時、線路上を幾つの駅を走破できるか一駅毎に数えながら歩いたものです。去年は土居駅から大阪方面へ6つの駅を歩いたから、今年は京都方面へ7つ目の駅を目指そうとかやったものでした。しかしながら、京都方面は駅の間隔が広くて途中であきらめてしまい、子供ながらに挫折感を味わったものでした。
駅のひとつやふたつ簡単に歩けるという子供の頃からの感覚は今でも私の判断を時々狂わせてしまいます。
(篠原拓男)
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京阪電車
その事件は私が大学の時、学食で起きたのだった。話の流れで友達が「俺、住むんやったら阪急沿線がええな」と言ったので、私が「京阪沿線も便利やで」と言うと、何と彼は「はぁ?京阪て何?」と言いやがったのである。最初は冗談だと思ったがどうやら彼は本当に京阪電車を知らないらしいのだ。ビックリしたが広い世の中にはこんな無知な奴もたまにはおるわいと思い丁寧に説明をしていると、彼はキョーレツなことをのたまったのだった。
「そやけど京阪はプロ野球の球団持ってへんやろ。そらあかんわ」
「ン?アレ?アレレ?」
当時、在阪五大私鉄の中で阪神はタイガース、阪急はブレーブス、近鉄はバファローズ、南海はホークスというプロ野球球団を持っていた。それまで考えたこともなかったが、京阪電車だけが球団を持っていなかったのだ。私は「あほ、こっちにはこっちの事情があるんじゃ」と訳のわからないことを言ったもののショックだった。それは最愛の恋人をけなされて腹が立ったけれど言い返せなかった惨めな気持ちに似ていた。
私は京阪電車が好きだ。だれが何と言おうと電車と言えば緑のツートンカラーの京阪電車である。しかし、しかしである。もし京阪電車がプロ野球の球団を持っていてくれていたら、我々京阪電車ファンはもっと胸を張って京阪電車を自慢することができるのにと、それ以来悔しい日々を過ごしていたのだった。
すると突然その日がやってきた。南海がホークスをダイエーに売却するというビッグニュースが飛び込んで来たのであった。これで京阪電車が在阪五大私鉄の中で唯一プロ野球の球団を持っていないというだけでローカル扱いされることがなくなるのだ。しかも、朗報は続いた。あの大阪急までもブレーブスをオリックスに売却したのだ。しかも「一電鉄会社がプロ野球の球団を経営する時代ではない」というコメントまでつけて。これでプロ野球の球団を持つステータスはなくなった。
そして、南海と阪急の球団売却と相前後して、我が心の京阪電車は守口に百貨店を作り、南海電車を在阪五大私鉄の中で唯一その名のつく百貨店を持たない電鉄会社に追いやり、我々京阪電車ファンの溜飲を大いに下げてくれたのであった。
(水谷治人)
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