松下幸之助松下電器産業妙楽寺ムーブ21モノレール
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ま 松下幸之助

松下電器歴史館は入場無料さる

 松下幸之助という名前を知らない方はおられますまい。あの松下幸之助であります。あの、て何んやねん。ちゃんと説明せんかいなどとつっこまないでください。どない言うたらええかわからんほど大きな存在なのであります。
 1894年、和歌山に生まれ、数々の伝説を創り出し、1989年、昭和の終わりとともに94歳で天に召されたこの方について書かれた本は何十、何百冊とあります。わがまちの誇りであるこの方のことをよく知らない方はもはや守口市民でないと言っても過言ではありますまい。ちょっと自信のないあなた、すぐに勉強するように。
 ところで、本を読むのはちょっと苦手というあなた、私がいいことをお教えいたしましょう。
 京阪西三荘駅を降りてすぐ、松下電器の敷地内に松下電器歴史館があります。この歴史館は別名松下幸之助メモリアルホールと申しまして、この方の心と足跡を資料や映像で展示してあります。ひととおり見て回りますと、あの方の歩みと人間像を知ることができるわけです。全てに英語が併記されていますので、外国からのお客様をお連れしても喜ばれることでしょう。
 さすがに松下電器だけあってハイビジョンシアターやマルチメディア機器などで非常に凝った演出がなされており、それだけでも充分楽しめますが、何よりもあの松下幸之助の人を包み込むような肉声と穏やかな笑顔にここで再び出会えることが、私にとって最高の喜びです。
 お客様や友達を連れて行ってあげるのもよいでしょうが、私はあなた自身が悩んだり落ち込んだりした時に訪れることをお薦めします。幸之助さんは画面の向こうからきっとあなたを励ましてくれることでしょう。
 この歴史館で見て、聴いて、感じたことを家族や友達に話してあげて下さい。松下幸之助の存在を風化させないことも、守口市民の大切な使命でありましょう。
 あっ、そうそう、大事なことを忘れていました。歴史館は入場無料です。それと受付のおねえさんが美しかったこともつけ加えておきましょう、念のため。

(水谷治人)

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ま 松下電器産業

松下探検隊さる

 守口と言えば松下、松下と言えば守口と言うほど、守口と松下の関係は深く、その知名度は高いと思います。ところが、松下という会社の内部を実際に知っている人は守口市民でさえ少ないように思い、私は今回思い切って松下を少し探索してみることにしました。
 まず最初は、予約をすれば誰でも見学が出来る『技術館』です。松下本社横に位置し、重点技術分野の代表的な成果を紹介しています。代表的なものだけとはいえ、見応えのある展示品の数々です。その中でも特筆すべき点は、受付のお嬢さんたちです。松下の中でも優秀な人材を起用しているとあって、容姿は奇麗だし、語学は堪能(英語は当たり前。その上数カ国後OKな人も多々)だし、接待は抜群だし、とにかく世の男性諸君、一度見学することをお薦めします。
 受付のお嬢さんに後ろ髪を引かれつつ表に出ると、車が地下に吸い込まれていくではありませんか。「まさか、国道1号線の下に道があるとは?」と思いつつ進むと、そこには鉄筋コンクリート造、幅3.7メートル、高さ2.5メートル、全長57.2メートル、計2本のりっぱな地下道が1号線の下を通っています。さっそく取材をすると、従業員及び関係者の歩行の安全確保と1号線一般歩行者の安全確保、1号線の交通渋滞の緩和を目的として、1978年8月3日に造られたということです。現在の交通事情を考えると、その先見性と国道1号線の下にトンネルを通す政治力に感心しながら『謎の地下道』を出ました。
 出たところで特別な情報をキャッチ、創業者の故松下幸之助氏の旧宅がどこかの研究所内にまだ残っているというものです。さっそくまたまた取材をすると、「確かに残っていますが研究所内部にあるため、一般公開はしておりません」と言うことです。そこでくじけず頼み込むと、今回は特例ということで見学の許可をいただきました。さっそく松下の研究所の中心である開発本部の中を進みますと、近代的な研究所の中に緑がこんもり茂り、ひっそりとしている所が一部あります。まさにそこが故松下幸之助氏の旧宅ではありませんか。1933年から1939年の間実際にそこに住まれ、現在は社員のお花、お茶、その他の会に利用しているとのことです。研究所と旧家、まさにミスマッチに感じますが、なぜか落ち着きを感じました。これこそ温故知新、松下の懐の広さでしょう。
 先端技術、謎のトンネル、研究所と旧家。これらはほんの一部だと思いますが、松下の底の深さを再認識しつつ、探索を終わります。
 それではここでワンポイントレッスン
 Q 松下の本社は守口市内にあるのに、なぜか本社の住所は門真。その訳は?
 A 巷の噂では、過去からの経緯で本社は門真で、移転した場合、守口と門真に入る税金のバランスがとれなくなる為、現在の本社を飛び地扱いしているとか……。

 いろいろ書きましたが少しでも興味をそそられましたか?ほんの少しでもそそられたら『技術館』、『松下電器歴史館』(両方とも一般公開)に足を運んでみて下さい。そうすれば守口の代表的企業『松下』を身近に感じ、更にその企業を育てた『守口』に愛着が涌いてくるのではないでしょうか。

(古野隆史)

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ま 妙楽寺

守口にある大阪府天然記念物さる

 私の父が浄土宗の真福寺の住職をしている関係で、同じく浄土宗の妙楽寺(住職・河野真成師)さんとは親しくさせていただいています。この妙楽寺には大ツツジ(正式には『オオムラサキ』俗称ヒラドツツジ)がありますが、9年前に関西テレビで放送されるまで詳しく知りませんでした。
 年に数回、法要の度に訪れている寺ではありますが、いずれも大ツツジの花の咲くシーズン(4月下旬〜5月上旬)ではありませんので、花が咲いているところを拝見したことがありませんでした。ところが9年前に関西テレビがニュースの中でこの大ツツジを生放送で中継するということで、その様子を拝見するために妙楽寺にお伺いしました。お寺には現在の喜多守口市長もいらっしゃっていました。その時に私は初めて大ツツジの花が咲いているところを拝見し、私が20年以上も訪れ眺めていたこの大ツツジがこんなにも素晴らしいものであることに気づきました。中継の際にも樹齢300年の大ツツジは紅紫の美しい花を咲かせ、胸を張ってテレビカメラの前に座っているかのようでした。その後、大ツツジは毎日テレビ・読売テレビなどで放送される一方、京阪電鉄発行の冊子『花・紀・行』にも紹介されたりしました。
 この大ツツジが今日のように有名になったのは昭和58年5月2日に『大阪府天然記念物第66号』として指定されてからであり、これを契機として見事な大ツツジがより一層多くの人に楽しんでもらえるようになり、大変嬉しく思います。また、余談ですが府の天然記念物で花が咲くのはこの大ツツジだけだそうです。
 守口市内にある大阪府指定天然記念物には妙楽寺の大ツツジと難宗寺の大イチョウの二つがあります。皆さんも是非一度、大ツツジの花が咲いている季節に妙楽寺を訪れていただいけたなら、必ずやその素晴らしさが理解していただけると思います。

(児玉慶典)

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ま ムーブ21

プラネタリウム体験記さる

 最近5歳の息子がよく星の話をしてくれます。「星にはロケットで行くんやろ」とか「宇宙にはウルトラ六兄弟がいるんやで」などたわいのないことから、「守口は地球やろ?」とか「地球は回ってるから、日本とアメリカはどっちが早く朝になるの?」と少々ドキッとするようなことまで。幼稚園でそんな話をしてもらったのでしょうが、先日行ったプラネタリウムもだいぶ影響しているようです。
 何日か前、「お父さん、あそこで見た星探して」と息子が言うので一緒に夜空を眺めました。北斗七星を指さして説明しましたが、全くわかってくれません。プラネタリウムでは星座にひしゃくや熊の絵を重ねて見せてくれていたので、空を見上げると星座の絵が見えると信じ込んでいるようです。そこで、紙に点々で星座を描いて「あそこにこんなんあるやろ。アチャアチャのケンシロウについてるのと一緒や」と言うと、「あ、ほんまや」と驚いておりましたが、本当にわかったのかどうか。その後「もっと探して」とせがまれましたが、「夜お外に出たらアホになってオバケにガブされんで」と言って何とか一件落着までこぎつけました。
 ところで、「月夜に出歩くと気がふれる」という話を聞いたことないですか?数ある迷信の類いなのか、それとも私が子供の頃出歩かないよう母親が言ったことなのかは不明ですが、数年前私 が滋賀県に住んでいた頃友人の天体望遠鏡を見せてもらった時、ふとこの話を思い出しました。とても明るくて、きれいで、しばらく眺めていると別の世界へ引き込まれそうな錯覚にとらわれてしまいました。月の光にはそんな不思議な力があるような気がします。  息子がもう少し大きくなったら天体望遠鏡を買ってやるつもりです。そして私ももう一度守口から月を眺めてみようと思います。もし駅前を変なオッチャンがうろついていたら、それはきっと…。

(奥山亨司)

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も モノレール

摂津は燃えているさる

 幼い頃『のりもの』の絵本を飽きもせずボロボロになるまで何度も眺めたもんです。スリムな機体が美しい『ひこうき〜ダグラスDC10』、真っ赤なボディが眩しい『しょうぼうしゃ』、二階席に乗ってみたかった『びすたーかー(近鉄特急)』、青い波を突っ切る姿が凛々しい『すいちゅうよくせん』等々その絵本には夢が一杯詰まっていました。
 しかしながらその中には大阪ではお目にかかれない『のりもの』も幾つかあり、そのうちの一つが『ものれーる』でした。棒に乗ってるモノレール。地べたを走らぬモノレール。遊園地にありそなモノレール。モノとはMONO(単一の)だよモノレール。あーこりゃこりゃ。
 そのモノレールが大阪にも一部開通しました。現在も延伸工事真っ盛りです。モノレール自体は何度か東京で乗ったことがあって特に珍しくもありませんが、大阪では未だ乗る機会がありません。と、まあ今の私にはそれくらいの存在でしかありませんが、このモノレール開通をことのほか心待ちにしている地域があるという情報を得ました。それは守口市とは淀川を挟んでお向かいで鳥飼大橋を渡ればすぐなのにあまりご近所という気がしない街、伝統の地名が燦然と光り輝くあの『摂津市』なんだそうです。
 そういえば摂津駅なんて聞いたことが無いですね。でも線路は走っていたし、阪急かJRの駅が摂津にあったような気もします。大阪の地図を見てみましょう。阪急京都線を指でたどって……。ありました正雀駅!!JR東海道線のほうはどうでしょうか。はいはいありますよ千里丘駅が。しかしどちらも位置が微妙ですねこれは。摂津市のページで確認してみましょう。まずは正雀駅のほうから。えーっと……。惜しい!!残念ながら吹田市に入っています。これは千里丘駅が心配になってきました。視線を少し上に……。セーフ!!ギリギリはギリギリですが白い枠の駅マークは摂津市に入っています。一瞬、摂津市には駅が一つもないかと思いましたよ私は。しかし、いずれにせよ二つの駅とも位置が果てすぎないでしょうか。多くの摂津市民は不便な思いをされているように思えます。大体千里丘駅という名前からして誤解を招きます。 河内や泉州の人間を対象に『千里丘駅は何市にあるかクイズ』をすれば、かなりの人が吹田市と答えるのでは。そうか。これはいけません。(後日、正雀駅は摂津市であると地元の方よりご指摘がありました。謹んでお詫び申し上げます。でも、あの地図を見たら誰でも……)
 では摂津市にモノレールの駅ができるとどうなるのか想像してみましょう。まず駅を中心に駅前が形成されるでしょう。何ができるのでしょうね。楽しそうですね。行ってみたくなりますね。そして摂津の方々にも楽に地下鉄谷町線や京阪電車をご利用頂けますので市内へ出るにも選択肢が増えますし、直線距離では近いのに車以外では行くには大変だった所へもお気軽にGO!!です。 『きれいな百貨店』へようこそ。千林商店街は楽しいですよ。そう、現状ではお互い近くて遠い川向こうのお隣さん同士である摂津市と守口市(周辺も含めて)がとっても身近になります。モノレールがもっと南に伸びて東大阪まで行けばこれまた便利。摂津だけでなく守口、門真あたりを出発点に長田、布施方面に行く時もわざわざ鶴橋まで出てまた東に戻ることもありません。
 新駅の名前は摂津市の広報紙によれば摂津駅と南摂津駅(共に仮称)になるそうです。今までありそでなかった摂津駅。いい響きじゃありませんか。それでこそ市の新しい顔!!
 原稿を書きながらだんだん人ごとのような気がしなくなってきました。結構盛り上がりを感じて、中央環状線を茨木南部から守口にかけて車で走ってみることにしました。この辺りを走るのは久しぶりですが、工事のお陰で道路の形が激しく変わって随分と景色が違って見えます。大阪モノレール○○駅(仮称)建設工事現場というような看板があるだろうと思って注視してましたが発見できませんでした。ただ、軌道を上から下まで足場が囲んでいるところを一箇所発見しましたのでそこが駅になるのかも知れません。位置的には摂津市を南北に縦断する中央環状線の大体真ん中辺りでしょうか。ここなら市役所等官庁も駅の真ん前で、ますます新しい摂津市の顔としての期待が高まります。工事の進み具合からして(平成7年8月現在)守口とつながるのはまだまだ先のようですが、その日が今から非常に楽しみになってきました。もし知り合いに摂津市民がおられるならばモノレールのことを尋ねて見て下さい。その熱い思いが伝わってくるはずです。最後に一言。「伸びよモノレール!!遥か南(潮岬?)を目指して!!」

(清水英男)

松下幸之助松下電器産業妙楽寺ムーブ21モノレール
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も 守居神社

露店と神楽さる

 夏休み最初の朝。 「セ〜ミ、セ〜ミ、セミ、セミ、セミ、セミ、ニィニィニィ」
 このうるさく、そして、心を奮い立たせる目覚まし時計で、少年達は日頃は起きたことのない早朝に目を覚ますのです。 「早よ起きて、セミを捕りに行かなあかん!!」
 午前6時ともなると守居神社の境内には捕虫網を持った少年達が我れ先に集まってきます。というのは、早く来ると樹の低いところに捕まえやすいセミがいますが、遅れて来るとそんなセミは既に誰かに捕まえられ、追い立てられたりして、低いところにいる捕まえやすいセミがいなくなってしまうからです。そのために長い竹竿を持っている少年もいます。そして、セミ捕りに夢中になっていると神主さんにしかられ早朝のセミ捕り大会は終わりを告げます。こうして少年達の待ちに待った楽しい夏休みの幕が開くのです。
 夏休みの最初のイベントは夏祭りです。
 7月24日の夕刻、神社の境内には所狭しと露店がひしめき合っています。露店の裸電球の明るさに負けず、少年達の目もキラキラと輝いています。金魚すくい・輪投げ・スマートボール・タコ焼き・イカ焼き・わたがし・トウモロコシ・ベビーカステラ・かき氷……。その中で特筆すべきは東京コロッケです。この東京コロッケというのはジャガイモを擦り潰してビー玉より少し大きいくらいに丸めたものをラードで揚げ、ウスターソースに浸して食べるのですが、これが何とも美味なのです。露店の脇には古いパチンコ台が置かれていて、お金を払うと店の人がパチンコ玉をくれてそれを打つのですが、入賞口によって貰えるコロッケの数が違うのです。当然チューリップに入ると沢山貰えるのですが、案の定なかなか入らずハズレ穴にパチンコ玉が消えていきます。しかし、店の人はのんびりしたもので入った入賞口に書いてある数字を自分で申告して竹串にコロッケを差すので、店の人が見ていないのをいいことに私はよくコロッケの数をちょろまかしたものでした。 「コンコンチキチン、コンチキチン」
 威勢の良いだんじりの鐘と太鼓の音が境内に充満しています。夏祭りの時、だんじりは町内を巡行しませんが境内で見ることができます。その奇異な形と大きさ、鐘と太鼓の騒々しさ、特に装飾の彫り物の恐ろしさがあいまって、小さな子供にとってはおどろおどろしく、泣き出すこともあります。ともあれ、だんじり囃子は祭り気分を盛り上げるのになくてはならない必須アイテムです。
 本殿では笛と太鼓に合わせて巫女が神楽を舞っています。
 巫女が舞う神楽は『浪速神楽』と呼ばれ、明治の初期から大阪で舞われていたようです。神楽は宮中などで奏される御神楽とそれ以外の里神楽の二つに大別されます。里神楽は物語的な演劇的要素の濃いものから抽象的な舞踊まで種々様々な形態がありますが、いずれにせよそれらは鎮魂や疫病や災厄よけを目的として舞われるものです。
 『浪速神楽』もかつては120くらいの演目があったと伝えられていますが、今日ではそのうちの『磐戸開』『庭ノ舞』『四方拝』『榊舞』『早神楽』『花ノ舞』『菖蒲刈』『胡蝶吾妻舞』などの28の曲目が現存しています。守居神社の夏祭りでは『剣ノ舞』『鉾ノ舞』『鉾剣ノ舞』などが中心に舞われています。
 祭りのメインイベントで本来の目的は翌25日の早朝に執り行われる神事にあります。守居神社の縁起を記した社記には「後花園天皇の寛正5年(1463年)、悪疫流行のあったとき、悪事災難を除くために美花を作りて祭祀を修し、鎮花の災祭を行った」とあります。そして、五百数十年を経た現在もこれに習い、本殿には沢山の美しい花が飾られ、多くの氏子・崇敬者の参列のもと、人々の安寧を願って厳粛に神事が斎行されているのです。
 今も昔も、大人も子供も夏祭りでは露店に夢中で、本殿で執り行われている神事などにはあまり関心がないようですが、一度は本殿で執り行われている神楽にも目を向ければ、夏祭りの興味も一層深まるのではないかと考えながら私は本殿で榊を握っています。

(江端将哲)

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